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磨はなぜ、目玉を墨で入れるの?

磨はなぜ、目玉を墨で入れるの? ダルマ人形が誕生した、当初は両目が入った状態だったようです。 現在、張り子だるま生産の七〇%を占めている高崎、達磨寺の坐禅だるまも最初は両目とも見開いていました。

しかし、養蚕農家(ようさんのうか)が七転び八起きにあやかり、蚕(かいこ)の起き(脱皮)がよくなるようにと左目(向かって右)のみに目を入れて願をかけましたり。蚕がよい繭(まゆ)を作ると残った片目にも墨を入れて「大当たり!」と、お祝いをしたそうです。これが商人、一般にひろまっていきます。

また、目を入れるようにるらたきっかけは疱瘡(ほうそう)にもあります。疱瘡除けだるまは目がセールスポイントでした。このために売り手は目を少しでもよく書くように工夫をしなければなりませんでした。そこで、目無しだるまを用意して、客の要望に応じて、その湯で目を入れて販売する方法をあみだします。すると、この方法が流行してしまい、目無しだるまばかりとなってしまったということです。 疱瘡除けの目無しだるまは明治の初期になり、種痘が行われるようになりますと姿を消してしまいますが、その後はさまざまな願いをかなえる目無し達磨として現在にいたっています。

さて、目を入れるということには、目が開く、目が出た、両目開眼でお目でたい、願いがかなったという意味があり、「目玉を墨で黒くする」ことには「ダルマさんが人に代わって苦労してくれる」ことだといわれています。ダルマの中で両目のろいものは、まず買った人が片目を入れてまつり、願いがかなえばもう片方の目を入れ、寺院や神社に納めます。

ちなみに選挙で用いられたのは昭和五年の総選挙で長野一区の立候補者が最初で、一般化したのは昭和三十年代になってからだということです。 どちらの目を最初に書くのかといいますと、決まりはありませんが、右目へ(向かって左)を入れていることが多いようです。(選挙の場合多いようです)

ダルマ人形は「達磨大師が持っている禅宗の開祖としてのカリスマ性」と「起き上がり小法師」の人形としての機能の二つが機軸となっています。これに、陰陽道の影響、人々の願をかけるという民間信仰、さらには疱瘡除け、飢饉などさまざまな要素が入り混じり、各地方で独自の発生、変遷をしながら、時代と共に変化し、謎を秘めながら、現代に伝えられてきたようです。 

参考 大法輪 「だるまさん」 なぜなぜ問答(村越英裕)